くるみとあんずの散歩道

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別れ

2013/02/23(Sat) 09:55
「お前は大雪の降った日に生まれたんだよ」

と母にいつも聞かされた。

4人姉妹の長女で跡取り娘の母。

小さい頃から際立った美少女で、通りすがりの人が足を止めて小さな母を見入っていた、と

いつも近所のお年寄りから聞かされていた。

蝶よ花よで育てられたように見えた母も、生まれてすぐ熱病や胃腸障害を繰り返した挙句

虚弱体質になってしまい、その後も活動的にはなれなかった。

反面、気だけは強かった。自己表現が下手だったのかもしれない。

おっとりと大人しい時と、激しくストレスを家族にぶつける時と両極端だった。

たった一つの特技は和裁。専門的な技術を身に付けていた。その着心地の素晴らしさからして

人より優れた一面があったのは事実だし…美しいだけで充分なのに、人知れず

苦手意識を抱えていて、特に人付き合いを嫌うあまり引きこもりのような人生だった。

大の親友二人を火事で亡くしたことも、母を孤独にした。



我が儘で癇癪持ちな若い頃の母に、私は背を向けるようにして生きてきた。

年老いて角が取れ、時には私の機嫌を取るようにもなり、致し方なく世話も焼いたが。。。

心の片隅に溶かしきれない氷が残っていた。


育児をお手伝いさんに押し付けていた若かりし母を思い出して、ある時、私は嫌味を言った。

「お母さんに作ってもらった食べ物を口にしたのはただ一度だけ...」

それは2歳下の弟が1~2歳だった頃、先に弟が熱を出し、近くの医院に入院した。

母はその時健康だったのだが、末の息子を溺愛するあまり一緒に入院していた。

何日間か母のいない生活をするうち、私の体はだるく息苦しくなり、突然吐いた。

祖母がそんな私を抱きかかえて、母と弟の入院している医院に連れて行ってくれた。

病室での母は3人部屋を借り切って、真ん中のベッドに(病人でもないのに)寝巻を着て寝ていた。

奥のベッドにはもうだいぶ回復した様子の弟が、ちょこんと座ってオモチャで遊んでいた。

「可哀想に…」と祖母は私を撫でながら言った。

「小さな子が一人で心細かっただろうに……」祖母の同情とは裏腹に

母は睡眠を妨げられたことを恨むかのように背を向け、そのまま寝ていた。

その後、注射でもしてもらったのか吐き気は治まったものの、翌朝はまだ身体がだるく、

私はハァハァ息をしながら目覚めた。

「水が飲みたい・・・」と呟くと、家事育児をしたことのない母がリンゴを剥き始めた。

包丁を持つ母を見たことが無かったので、鮮明に覚えている。近寄りがたい横顔だった。

母はリンゴをすり、布巾で絞ってコップに入れ、私に手渡してくれた。

気難しい母しか知らない私にとって、その行動があまりにも意外だったため、

驚いたことを記憶している。

恐る恐る飲んだリンゴのしぼり汁・・・

その美味しさは今も忘れられない。この世にこんな美味しい物があったのか!と思った程だ。

そしてそれは母が私に作ってくれた最初で最後の料理(?)だった。



こう話し終えて振り向くと、年老いた母は眩しそうに目を細めて笑いながら私を見上げていた。

昔の母なら、「一度しか作ってくれなかった…」という部分に突っかかって来たと思う。でも

この時の母は、「その美味しさが忘れられない」私に目を細めていた。

もう若い頃の過激な母ではない。

リンゴのことは記憶にないそうだ。覚えていたのは医院の食事が不味すぎて食べられず、

院長を呼びつけ文句を言ったら・・・

「お詫びに…」と庭に咲く花を一輪、花瓶に挿して母のベッドサイドに飾ってくれた。

「気が利かないったらありゃしない!」 花より団子の母はその日から病院食を断り

店屋物を取り寄せ食べていた、と言う。





「何も教えてやったことがないのに…なんでもできるようになったね?」

歳と共に私をおだてるようになった母。

家の近くの川に住みついた、卵を産みっぱなしで温めもしないアヒルを指さし

「まるでアタシだね?」 自虐ネタも言えるようになった。そして…

歳と共に甘え上手になってきた。


「お前だけが頼りなんだよ。」

「お前を杖にして生きているんだよ」と顔を見るたび言うようになった。

だが、母を看る為に母宅へ越してきた兄夫婦の立場も考え、また

叔母(母の末の妹)を引き取り世話をすることで、自分の体力の限界も悟っていた私は、

母の望みを受け入れてあげられなかった。

その後の母は養老院に入り、見るたび恍惚の人になっていった。

気性の激しい我が儘な母の片鱗など、全くなくなっていた。


ここ数日、母とのほのぼのとした思い出が繰り返し甦る・・・

朝な夕な、母の笑顔が瞼にちらついた。 そんな時、義妹からの電話で


母の死を知らされた。

満97歳、大往生の母。。。虚弱体質だった幼い頃、大人になれないと医師に匙を投げられた母。。。

無理をしなかったのが長寿に繋がったのかもしれない。



ここ数日、繰り返し思い出話が甦ったのは…

母は私に会いたかったのだろうか?

会いに来ていたのだろうか?




「お母さんが作ってくれた、リンゴのしぼり汁、最高に美味しかったよ・・・」

心の中で話しかけながら、ふと窓の外を見ると・・・


雪の降る朝、私を産んでくれた母を見送るように



DSC04080.jpg


雪が降っていた。


思い出 コメント:4 トラックバック:0
コメント:
--NoTitle--

 お母様のご冥福を心からお祈りいたします ♡


ママさんのお話を読みながら。。。自分の母と重なる
事の多さを思います
大往生の年齢では いらしゃいますが、やはりお母様とのお別れは つらいものでしょう
お気持ち落としとは、思いますが・・・
ママさんのお身体も大切になさってください。


by: トトロママ * 2013/02/23 19:25 * URL [ 編集] | page top↑
--NoTitle--

おどろきました

お母様のご冥福をお祈りいたします

お母様のお話があまり聞いたことがなかったので
本当に驚きました
いろんな思い出があったんですね

淋しくなりましたね
つらいですね・・・・

kimiはどういうわけかさっきママさんにお電話して
両親のことでいろいろお世話になったお礼を
と思っていたんですよ・・・・・
先にブログを・・・・・ときてみて

ママさん元気を出してくださいね
by: kimi * 2013/02/23 20:40 * URL [ 編集] | page top↑
--☆トトロママさんへ--

母へのお悔やみのお言葉、ありがとうございます。

訃報を聞いた瞬間は、言いようのない寂しさを感じましたが
もう落ち着きましたよ。
母の感情の激しさを理解しようと思うと
精神的な苦悩をあれこれ想像してしまうので
今は笑顔の母を思い出し、幸せだった、と信じたいです。

自分の主張ばかりしている母でしたが、今では
きっと私の幸せも見守ってくれているのでは?と
良い方に考えています。
by: くるあんママ * 2013/02/24 07:22 * URL [ 編集] | page top↑
--☆kimiちゃんへ、--

お悔やみのお言葉ありがとうございます。
ビックリさせちゃってごめんね。。。
kimiちゃんとお母様の仲の良いご様子を
とても羨ましく感じていました。
これからは天国の母と仲良く会話していきたいと
思っています。
ご心配いただきありがとうございました。
by: くるあんママ * 2013/02/24 07:27 * URL [ 編集] | page top↑
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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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