くるみとあんずの散歩道

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歳月の流れ 変わるもの・変わらないもの

2012/02/12(Sun) 13:39
先週の今日(5日日曜日)府中でwan友・もふう家、みるくまこも家と新年会・誕生日会を楽しんだ帰り、

一般道路で家に向かいました。

甲州街道をどんどん都心に向かって行くと、世田谷区烏山の辺りから樹木の緑が少なくなり

それまでの郊外のイメージから都会の雰囲気に変貌していきました。

くるあんパパママが子供のころ、烏山と言ったら東京の田舎…といった印象でした。

カラスがたくさんいる山だから、烏山なのかな?と思っていたくらい。。。

烏山に限らず、世田谷区全体が素朴で、今、若者が集う三軒茶屋でさえ畑があちこちに残っていました。

戦争中は栄えている中心地が、真っ先に米軍の攻撃に曝されます。

その攻撃から身を守るため、下町の人の多くが取りあえず疎開先に選んだと言われる、世田谷。

戦争中は、ちょっと間に合わせで暮らせる地域だったようです。


この日は都会化した烏山に驚きながら家路に向かうと、徐々にビルが増え軽い印象の街に突入。

見渡すと甲州街道の両側には、ビルビルビル!統一性のない、美観とは言い難い景色が広がります。

ここはどこなんだろう?? と今時の東京を知らないママは、不思議の国に迷い込んだような気分に。

「中野だよ」というパパに「え”-」!!!



中野はママにとって、思い出の町です。

祖父の妹に当たるWオバさんの家があり、その家を訪れることは、

ちょっとした旅行気分を味わったほど、当時の中野は都心とかけ離れた別世界だったのです。

新宿から乗ったバスを、確か中野坂上辺りで降りると(当時はバスしか交通機関がなかった)

目の前に広々とした世界が広がっています。何があったか、覚えていないのですが、

記憶に残るような物は、何にもなかったような気がします。

そしてその何もなかったようなバス通りが、現在、ビルで埋め尽くされた甲州街道に違いありません。



ママはこのころ、新宿が東京の西のはずれだと思い込んでいたくらい、新宿の西側は長閑でした。

Wオバさんの家はバス通りを横切り、中野坂上の名の通り坂道を上ります。

確か、坂道は一気にのぼりが続くのではなく、上ったり少し下ったり、また上ったり。。。

日頃平坦な下町に住むママにとって、それは不思議な街並みでした。

道の両側には、下町にはあり得ない高い塀に囲まれた家々が点在し、その門扉の隙間から広い庭を垣間見ては

知らない世界を想像してワクワクしたものです。

息を切って坂を上り、目の前が開けると…またその先は下り坂と上り坂が続いています。

大きな坂の上から振り向き、樹木の枝が伸びる塀の連なりの先を見ると、

眼下にさっき超えた小さな坂の頂きが見えました。

ようやく辿り着いたWオバさんの家。

見上げるような塀、重い門扉を開くと広い芝生、緩やかな坂のアプローチを進むと重厚な玄関ドア。

迎えてくれるWオバさんは、ママが自分の母と見間違えるほど良く似ていて、顔も姿も着ている着物も

何もかもそっくりなのですが、ただ一つ、ママの母より性格が明るく、大きな声と笑顔の人。

テンポの良い口調で賑やかに受け入れてくれるWオバさんとは対照的な、薄暗い印象の家の内部が、

静かに後ろに広がっています。

玄関を上がり、廊下を曲がると当時としては珍しいスケルトンの階段があり、

その段々の間から、日差しを浴びた緑の庭が8ミリフィルムのように連なり、薄暗い廊下を彩っていました。

マントルピースのある応接間には、当時大学生だった娘さんが描いた大きな油絵。モデルはWオバさん。

ママも描いていただきました。

庭にホースで水を撒くお手伝いを始めると、途中で飽きてしまうほど広い庭。

狩猟が趣味だというハンサムな息子さん。。。

日本舞踊が趣味のWオバサン。。。幸せが凝縮しているような家でしたが。。。

くるあんママの今の年齢になった時、Wオバさんは脳卒中で倒れ、あっけなく世を去りました。



明るくてポンポン喋るWオバさんの居ない家を想像すると。。。日差しを浴びた庭と対照的な薄暗い部屋が、

だだっ広くひろがる裏寂しいイメージです。

また生前のオバさんは、そのハイテンションなお茶目ぶりが親戚筋に誤解されることもあり、

そうした周囲の批判をかわしたいのか、オバの死後、瞬く間に立派な邸宅は手放され、

残された遺族はバラバラに暮らすようになったとのこと。

我が家とも疎遠になってしまいました。


歳月が経ち、そういえば祖父の生家の墓はどうなっているのか…と話題になってもだれも解りませんでした。

祖父は、それよりかなり以前他界しており、また分家でもありました。

祖父の男兄弟は早世しており、では、だれが???と思っていたら、なんと

Wオバさんが実家の墓守りをしてくれていたことがわかりました。


黙っていれば飛び切りのいい女なのに、所構わず大きな声で包み隠さずお喋りしていたwオバさん。。。

温かい心で、他の人が気付かない部分にも、心配りしてくれていたのです。

しかも何も言わずに。。。

誤解されても、気にもしていない明るさで、大きな声で笑っていたWオバさん。



街は変わり、建物が変わり、住人も。。。W家は。。。

フランスに渡って画家の勉強をしている娘さん、米国で事業を始めた息子さん、再婚したご主人。。。


街や家や人々が変わっても、Wオバさんの思い出は変わることなく生き続けています。







思い出 コメント:2 トラックバック:0
コメント:
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私が、小さい時に遊んだあたりは 田んぼばかり 当時国鉄の電車が
見えました
今は、すっかり街になり電車も見えません

wおばさまの思い出、胸にキュンと来ます
いまが、ママさんの心のなかで、想われていて喜んでいらしゃると思います ♡
by: トトロママ * 2012/02/15 23:19 * URL [ 編集] | page top↑
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☆トトロママさんへ、
ゆったりとしておいででしょうトトロママ地域も、
移り変わっていくのですね。。。
どんどん街が広がり、便利になりますが
元々の美しい風景も変化してしまいます。

正直すぎて、どこでも包み隠さず話してしまう人って、
良く思われない場合もあります。
でも、その裏表のなさは、年月が経っても綺麗なままです。

ママさん、ありがとうございます。
そんな風に言っていただけると、Wオバも私も嬉しいです♪
by: くるあんママ * 2012/02/16 10:39 * URL [ 編集] | page top↑
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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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