くるみとあんずの散歩道

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賢王に想いを寄せて・・・

2017/05/28(Sun) 23:43
韓ドラ 『イ サン』 を何度も見ています。

朝鮮王朝 22代王 正祖の波乱に富んだ人生。

地デジでもCSでも、BSでも何度も放送され、それを何度でも見、

その上またも、6月20日から再・再・再・再・再放送されると聞き、

楽しみにしているママです。

イ・サンの時代から遡ること400年…朝鮮王朝建国の時代からの

ママの知る限りのあれこれから、紐解いてみたいと思います。


皆様ご存知の通り、高麗王朝を倒し

将軍李成桂が初代朝鮮王朝の王となったのが1392年。
(日本では南北朝の時代)

この建国の時、大きな手柄を立てた官僚とその子孫は

政局内で大きな力を持っていたのに反し それに歩み寄ることなく

地方で悠々と儒学を学ぶ知識人(士林派)が増えて行きました。

彼らは志を同じくする者同士グループを作り、やがて

この知識人たちも、自分たちの知識を実践するため政局入りを

願うようになったのです。 それにより

熾烈な政局争いが生じ、この争いが後々王朝を揺るがす種になったのです。




それとは別に。。。

朝鮮王朝の歴代王の中には希に優秀な王も出、特に

世宗(4代)は、進歩的な思想で国の基礎を固め、

王朝は安泰するかと見られました。

世宗は当時両班(貴族)の特権であった知識・勉学を、

誰にでも受けられるよう、難しい漢文を簡単に…と、ハングル文字を制定、

多方面で名君と謳われ王朝の全盛期を築きました。 でも

身分の格差を望む両班(貴族)は賎民(奴隷)が知識人になることを恐れ

世宗亡き後、これが世に広まることはありませんでした。

この後、世宗の意志を受け継ぐ者はいたのでしょうか?

朝鮮王朝歴代の王を読み解くと、このように立派な王が現れたかと思うと

不思議なことにその子供に残虐な性格の王が現れることが度々です。

名君であった世宗、そして次の5代王は秀才であったが病弱で若くして世を去り

その子供6代王は・・・世宗の3男スヤンにより、王座を奪われた後、惨殺され…

こうして甥の王座を奪った残虐な7代王スヤンですが、彼の孫9代成宗は名君と呼ばれ

そのまた子供は残虐なあまり王位を剥奪された燕山君です。

燕山君が暴君となった理由は、生母を死に追いやった背景に

派閥が絡んでいる(主に父方の祖母インステビ)と知ってのこと。

彼は母の死に関わった者を粛清し、旧建国功臣は14代王の時代に終焉。

残る党派の士林派…(地方出身の知識集団。儒教を元に政界に進出)も

その後 党争が始まり、西人・東人に、(後に東人が南人・北人に)別れ

更に西人派が二手に別れ老論(のろん)VS少論⇒時派イ・サン派
                 ↓
               過激派(イサンの祖父を擁立。イサンと対立)
等など常に政局論争に揺らぐ王朝であり、これから始まるイ・サンと

祖父を擁立している派閥が、敵対していることを念頭にお読みください。




「イ・サン 朝鮮王朝22代 正祖」は、4代王世宗に次ぐ聖君となり

朝鮮王朝第2の全盛期、朝鮮半島のルネッサンスと言われる時代を手がけました。

時代はフランス革命や米独立戦争の起きた時代で、日本では

江戸時代中期~後期にかけて。寛政の改革の頃。

今日のブログは長くなります、覚悟の上お読みください~♪゜・*:.。. .。.:*・♪




主人公イ・サンは あの人気ドラマ・トンイの息子の孫。

このトンイの息子が朝鮮王朝歴代で最も長生きした

21代王の英祖。英祖は当時の巨大勢力老論派に翻弄され、

朝鮮王朝三大悪女の一人である王妃(後妻)に操られ、

神童と言われた聡明な我が子(後継)を

米びつに閉じ込め、死に追いやります。
(この英祖の息子への怒りは、別の説もあり)

この時、幼かったサンは父の無実を信じ、無念な思いを抱きます。

この米びつ事件は実際にあった出来事ですが、ドラマでは

架空の話がプラスされ、幼いサンが父を救おうと

奔走する際、同年齢のテス(男子)とソンヨン(女子)

と出会い生涯の友となり、これがドラマの柱となります。

このソンヨンは実在の人物ですが、ドラマの中の設定は

現実と違い、成長し、宮中の図画所…絵画で記録を残す部署…

の茶母(たも・女性職員)となり、社会的地位の低い立場から

紆余曲折の末、サンと運命の再会を果たします。

幼い頃から心を寄せ合っていた二人ですが、

茶母は宮中でとても身分が低く、王様のお側に近寄れる立場ではありません。

その上サンの母の強い反対もあり、清へと追いやられ苦労の末、

命からがら戻ってきたソンヨンを見て、サンはよりその存在を感じ入ります。

サンは誠実な側近や、頭の切れるホン・グギョン(悪名高い実在の人物)

またソンヨンと共に竹馬の友であるテス(武官)に支えられ、

幾度とない窮地を乗り越えます。

祖父英祖に認められ、老境の王に変わり世襲を任されたサン。

でもその行く手には、父を死に追いやった巨大勢力の横暴に、幾度となく

足元をすくわれます。命を狙われ、無実の罪を仕立て上げられ…

そして父と同様、祖父・英祖の信頼を失い、家臣の前でサンは問われます。

「お前の父は誰か?」  と。

実はサンは、叔父の養子になっていたのです。

王命により米びつに閉じ込められ、餓死させられた実の父は罪人であり、

罪人の子が王になる資格はなかったからです。

大勢の重臣の見守る中、サンは言葉に詰まりながら答えます。

「私の父は、伯父上です。でも、この体をくださった父は

思倬世子(さどせじゃ)さまです」と。
(倬という字が違いますがお許しを)

思倬世子とは、我が子を死に追いやった英祖が、

「思えば思うほど、可哀想な我子よ」と嘆き悲しみ、名付けた名。

つまり英祖は、当時の真相を究明できないまでも、

我が子の偽りの言えない性格を知っており

その真っ直ぐな人柄をサンが受け継いでいることも感じていました。

それでも自分を援護し王にしてくれた老論派を前に

孫をかばえないばかりか、英祖は怒り狂います。

そしてサンの世襲を取り下げ、サンが今の言葉を撤回しなければ、

あるいは3日以内に思倬世子の無実を証明できなければ

次期王にはしない、と言い渡します。

こうして英祖の怒りを買い、再び窮地に立ったサン。


ドラマでは英祖とソンヨンにも接点があり、

英祖の好きな梅の絵を描き、彼女は気に入られます。

またサンの父が残した絵に隠された書を発見し、それにより

長年の悲願であったサンの亡き父の無実を証明することになったのです。

こうしてサンの窮地を救ったソンヨンに、英祖はより心を開き

死に追いやった息子の顔立ちを語り、肖像画を描かせ

やっと息子に会えたことを感謝し、トンイの形見の指輪をソンヨンに渡します。 

この指輪がその後のソンヨンの地位を確かなものにするのです。



記録的天寿を全うした英祖の後、孫のサンが

晴れて22代王となる即位式で行ったあの

「世は思倬世子の子である」 という有名なスピーチ。

思倬世子は後に荘献世子と名を変え、その墓地もサンの悲願により

美しい水源に囲まれた華城に移されました。



ドラマでの図画所のソンヨンは、異例の抜擢…というより

正祖に 「王としてでなく、ひとりの男として…」 と切望され側室になります。

でもこの設定(茶母…下働きが側室)には無理があり、実際は

王または王妃のおそばにいた女官だったのでは?と言われています。また

この時代の王の妃・側室は10代でお輿入れすることが多かったそうですが、

朝鮮王朝実録によると、このソンヨンと思しき側室は、サンと同年齢で

30歳位であった、と言われています。並みいる側室の中で際立って

王の寵愛を受け、当時一人の側室は一回懐妊する程度であったのに、

ソンヨンは3人も子をもうけ、その最初の子がまだ幼い時期に

周囲の反対を押し切り、世子(後継)にすることを正祖は宣言。

ソンヨンへの愛の深さが現れている、一幕です。

でもこの子も含め、ソンヨンの子は全て夭折。

ソンヨン自身も若くして死を迎え、

正祖が深く嘆き悲しんだ様子が、記録に残っているそうです。

ドラマ同様、王を精神面で支えた女性であったのでしょう。

ドラマ イ・サンは愛の物語であるとともに、正祖が残した数々の偉業が

その名君ぶりを示しています。また常に命を狙われ続けた王であり

その波乱万丈の人生が、実在の歴史上の人物とともに描かれています。

イ サン
ドラマではサンが王となるまでに、多くの苦境を乗り越える手助けをし

サンから「我が友」と呼ばれ、信頼の厚いホン・グギョンですが、

この正祖の時代の朝鮮王朝実録には、悪行の数々が記録されており、

彼を見抜けなかった正祖は、若かりし頃、人を見る目がなかったのでは?

とも言われています。

ドラマでのグギョンは頭が切れ、瞬く間に出世していきますが、更に

権力を意のままにしようと、妹を正祖の側室に送り込みます。

妹に王子を産ませ、自分が次期王の叔父となり、権力を振り翳す計画です。

ドラマでは成人した女性が妹として登場し、ソンヨンを虐め、想像妊娠をし

それを王妃の策略で流産したなどと嘘を重ね自滅する役どころでしたが

実際のグギョンの妹は14歳で宮中へ入り、ほどなくして亡くなったようです。

ソンヨンは肝臓癌…正祖も病死と記録されているようですが

皆、激変して急死しており、ソンヨンの子も3人とも夭折していることを思うと

毒殺説を否定できません。

グギョンは、駆け上がっていったものの結局は悪事が露呈し、失脚。

極寒の僻地に流され失意のうちに30代で亡くなります。

正祖は、身分や家柄、奴隷制度の廃止、婚外子を宮中に採用する等

先進的な考えを持った王だったため、両班(貴族)に命を狙われ続けます。

ドラマの中で、奴婢にも教育を受けさせ、誰もが自分の力を発揮することで

国が潤うことになる…と語る聖君ならではの場面もあります。

今では当然のことですが、この時代は進歩的発想だったのでしょう。

旧習にとらわれず、王の政治への討論もさせ、

財源確保のため、生産力の向上と農業生産の向上

文化事業の推進、学問の活性化。学術研究機関の設置。

ホン・グギョン亡き後、チャン・ヤギョンという実学派が、

画期的な建設機器を考案し、様々な施設や基地に役立てました。


正祖が後10年長生きしていれば、朝鮮はもっと大きな国になったことでしょう。

実際は正祖亡き後、権力を復活したのがなんと!

正祖の祖父英祖の後妻であり、3代悪女の一人であり、正祖の宿敵貞純大妃!

幼い23代王(ソンヨン亡き後の側室の子)の世襲となり、

やりたい放題やっていきます。

正祖の掲げた、自由と平等の朝鮮とは程遠い、民を苦しめる政治が

復活したのです。奴隷制度の継続、貴族でないと教育を受けられない…など。

1900年近くに朝鮮で撮られた写真の中に、首に板や鎖を付けられた

数々の奴隷の姿が残っているのは、世界的に見ても珍しいことです。

正祖の打ち出した奴隷制度廃止が実現するには、100年以上かかっているのです。

彼の父の墓所のある華城は1794年に着工し、1976年に竣工。

1997年にはユネスコ世界遺産に登録されました。

正祖は草葉の陰で、200年近くかかった華城の完成を

どんな思いで眺めたのでしょう?

南北に分かれた朝鮮半島の今を、どう思っているでしょうか?




ドラマの中の名君・正祖は、清との戦争を避け、平和を守りました。

温厚な正祖ですが

清の者が朝鮮国内で悪事を働くと、我が国で裁く、と正祖は宣言。

自国に連れ帰って清の法で裁くという、清の使節団の大使が、

皇帝の名まで出して脅しをかけても、正祖は譲りません。

当時は平和な今と違い、朝鮮王朝は強国清の属国であり、

脅威の存在だったはずなのに。

つまり正祖は自国の民に心優しく、自国をおびやかす強国には

果敢に対応した王なのです。

今、米国の訳の解らないトランプ大統領に諂らい、

ロシアのプーチン大統領を友達だのと言って

いいようにあしらわれた、我が国のトップリーダーに

爪の垢を煎じて飲ませたい気持ちになるのは、ママだけでしょうか?



私は今日も、賢王への尊敬の思いを胸に、

『イ・サン』 を見ています。



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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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