くるみとあんずの散歩道

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意外な繋がり。。。

2014/04/04(Fri) 00:08
シュナ・ブログなのに、今日はワンコ話とは、離れた話題です。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


くるあん家が今、暮らしている地域には

名字以外で呼ばれているお家があります。

屋号と言うのでしょうか?

以前のご商売の店名だったり、お寺の鐘突き堂の前だから

『堂前さん』と呼ばれていたり。。。


こうした場所や店の名ではなく、

苗字でも下の名でもない呼び名の人がいます。

名高い産婦人科医だった亡きお父さんと同じ下の名で、

80代の息子さんは、『K中さん』と呼ばれているのです。




ある日、我が町の歴史が書かれた本を読んでいると、

町のあゆみと書かれた町史の中に、K中さんのお名前を発見しました。

驚くべき点は

1783年・天明の大飢饉の後、伊能忠敬が岩井海岸を測量したことと、

滝沢馬琴が南総里見八犬伝を完成させた年代の間に、

〇〇K中『産科発明』出版! と記されているのです。



推察するに・・・江戸時代から代々、優れた産婦人科医を勤め上げ、

今もって近隣の皆に尊敬をこめて、初代の名

「K中さん」と呼ばれている・・・に違いありません。



もう一つ興味深い話として、若い頃のくるあんママを

とても可愛がってくださった奥さんの存在が、関連してきます。


彼女はママの親世代の年齢で、若い頃、驚くほど厳しいお姑さんに

日々、悩み苦しむ毎日だったそうです。

毎晩、2時間の睡眠時間で、働きっぱなしの毎日だったという彼女の

ただ一つの息抜きは、手洗いに入ったとき。

用を済ませた後も、便器(和式)につかまってウトウトすることだけが

ホッとするひと時だった、と遠い日を思い出していました。


彼女は戦後、最初の子を出産することになるのですが、

どうも様子がおかしく、不安な気持ちを抱き病院を訪れます。

当時は終戦後とは言え、あの東京大空襲で焼野原となってから

充分に立ち直っていない頃だったとみえ、

医師も疎開先からごく少数しか戻っていない有様。

数少ない産院の、数少ない産婦人科医の診断を受けた所

心音が非常に小さく、胎児の存在が解らない…

とにかく普通の状態ではない、と匙を投げられたそうです。

人手不足でもあり、あっちこっち転院を薦められ困り果てていた時

とある病院のベテラン看護婦長さんから、小さなメモを渡されました。


そこには住所と名前と共に

「産婦人科医として大変優れた医師」と書かれてあり、

急いで彼女は、その医師を尋ねるため家を出ました。

当時は、今の様に簡単に連絡が付く時代ではなかったためか

辿り着いた地で、その優れた産婦人科医と巡り合えたのは

奇跡のようだった、と彼女は感慨深げに語っていました。

なぜなら、東京での医師不足に駆り出されるため、日夜呼び出しがかかり

滅多に在宅できない日々が続き・・・この時も慌ただしい様子で

今まさに出かけようとしたその時、玄関先でバッタリ会ったのだと。。。


上り列車に乗ろうと急いでいる医師を捉まえ、彼女は言います。

東京の産院をたらい回しにされたこと、

「先生に会うため」

出産を間近に混んだ列車に揺られ、東京から半日以上かけ、ここ

房総半島の南の先まで、「やって来たのです」と。。。


彼女の必死な姿にほだされたのか、医師は診断をしてくれることに。

胎児はなんと、骨盤の中ではなく

「ここにいたのよ・・・」と彼女は

肺の横、わきの下に近いところを指さしました。

(ママはこの時、思いっきり疑り深い表情をしてしまったらしく
 「本当なのよ!高名な先生のお見立てですもの!」を繰り返されました)

どうして、こんな想像を絶する位置に胎児が移動したのか・・・?

毎晩2時間の睡眠で、便器にもたれてうたた寝したためではないか?と

言う彼女に、医師は、理由はともかく

「大変な難産にはなるが、母として乗り切れ」と励ますと共に

お釈迦様も母親の、わきの下にいた・・・と

勇気が湧くような話をしてくれた、と言います。

だが、いかに名医といえど

これだけの難産となると充実した設備が必要になるのでは…と

自ら知り合いの大病院にかけ合ってくれたうえ付添い、共に上京。

難産ではありましたが無事、普通分娩で男の子が生まれました。

 


私はこの時彼女が救いを求めて訪れた

房総半島南部の高名な産婦人科医は

先日、我が家のお花見の集いにも参加して下さった、

ご近所のK中さん(80代)のお父さんではないか・・・?と

密かに思いを巡らしております。

お聞きしたいのですが…

70年近くも前のこと、今のK中さんには知る由もないのでしょう。

そして私は

可愛がってくださった今は亡きあの奥さんが

不安を抱えながら臨月にこの地を訪れ、K中家の前で、

すがるように診察を頼んだであろう姿を想像してしまいます。

DSC00158.jpg




今のK中さん宅は、

往年の様子とは程遠い、静かな佇まいです。

広い空地の片隅で、ご隠居さんとして余生を送っています。


見上げる大空の向こうではきっと

代々のK中さんに、出産でお世話になった母親達が

お礼を言っていることでしょう。


K中家の広い空き地を通りかかるたび

運命の巡り合わせを感ぜずにはいられません。


思い出 コメント:4 トラックバック:0
コメント:
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色々な想いが一気にこみあげてきて
涙が止まりません。くるあんママの想像は
きっと当っていると思います。
そんな巡りあわせを運命というのでしょう。
改めて「ようこそ!南房総へ!!」
by: 平久里の黒うさぎ * 2014/04/04 00:21 * URL [ 編集] | page top↑
--☆連mama さんへ、--

ありがとうございます。
勝手な想像なのですが、多分、当っていると
思い込んでいます(^_^.)

そして私たちはここに誰かに導かれて来たような
気もしています。

この南房総で、余生を楽しんでまいりますので
これからも宜しくお願いします。
by: くるあんママ * 2014/04/04 00:53 * URL [ 編集] | page top↑
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ママさんきっとそうだと思いますよ
素敵な巡りあわせですね

自分の歴史がだれかの人生の支えになっていたなんて素敵だなあ

逆の場合があるかも
それはつらいですね

これからの人生で前者になれるように努力したいと思いました
by: kimi * 2014/04/04 08:00 * URL [ 編集] | page top↑
--☆kimiちゃんへ、--

目立たなくても、陰ながら人のお役にたつことが出来たら幸せですよね?
K中さんのお父さんの様に、他の医師がサジを投げた様な難産を
救えるほどの際立った能力が無くても
話し相手や、食事の手伝いなどを通して
小さな幸せとか、心の支えのお役にたちたいと
私は思っています。

kimiさんは、フラメンコで皆に明るさを届けていらっしゃるので
素敵だと思います。

誤解を生んでしまったり
うっかり逆のことをしていない、と言い切れないけど
気持ちは伝わると思います。
先日、我が家でしたお花見の時も、準備段階で
小さな誤解が生じていたのですが、
なんとか解って頂けたようでした。
正直に生きていれば、いつか解って頂けると思っています。
by: くるあんママ * 2014/04/04 09:45 * URL [ 編集] | page top↑
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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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