くるみとあんずの散歩道

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里見正史コンサート

2014/03/10(Mon) 08:58
9日(日曜日)素敵な催しに参加させて頂きました。

館山から北に上がった内房富浦地区の…生涯学習推進員企画による

『里見正史コンサート』

場所は富浦町・光厳寺

まず、ここ房総のお殿様、里見一族の8代目・義頼の菩提寺へ。。。

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家に帰って、にわか勉強(^_^.)した結果、

里見氏は、元々は房州の出身ではありません。

今の群馬県高崎市榛名で長年に渡って活動していた

清和天皇から始まる新田一族の分家。

その後、全国各地に里見一族が広がったそうですが…

ここで余談をちょっと、半信半疑で聞いてくださいね。



くるあんじぃじ(パパのお父さん)が耳にタコが出来る程

ママに聞かせてくれた『くるあん家・先祖のお話』。。。

元は室町時代からの庄屋の出なのですが

戦国時代に独立した一人が、北条何々と里見何々と3人一緒に諸国を放浪。

3人のうち、最初に北条何々が別行動になり、里見何々とくるあんご先祖は

甲斐に向かい…

その後くるあん家の先祖は武田信玄の蔵法師(財産管理係)となった、

という定かとは言い切れない話を、ママは繰り返し聞かされていました。

(本家の蔵の中の巻物があり、

 この蔵法師は信玄の死後勝頼に仕えていた時、織田勢に屈し

 一族を引き連れ神奈川の山中を逃げ惑った様子など書かれてあったそうです。)


この時の、くるあんご先祖が一時期行動を共にしたという、里見何々が

房州に向かった…としたら? 距離的に不可能ではありません。

庄屋だったくるあんご先祖家は、東神奈川(鶴見の近く)にあり

そこから諸国を放浪した、という話ですので。。。

でも、残された里見氏の歴史の中には

房総里見氏の初代(義実)~3代義通までは生没年不詳で

4代義豊は1534年没、とされています。

甲斐に向かったくるあんご先祖が武田家の蔵法師になった、と言う説を

信じると…

信玄が生まれたのが1521年。父を追放し家督を継いだのが1541年。

上杉謙信と川中島の戦いをしたのが1561年。

年代を考えると、くるあんご先祖と諸国を放浪した里見何々の出身は

日本各地に広まった里見一族の一人…と考えた方が良いでしょう。

房州里見家5代当主義堯(1507~1574)の時代に、諸国を巡っていたのですから。

ただ、その後、安房に向かったかどうか否定はできません。

もっともくるあんパパは

「親父の話は、記憶違いもあるぜ~」と

とんと信じる気が無いようですが。。。(^_^.)


前置きが長くなりました。

この日は房総里見家8代・義頼のお墓参りDSC09991.jpg
をした後、義頼の(父親説・兄説あり)6代里見義弘のロマンスを紙芝居で・・・

紙芝居

応仁の乱(1467年)のゴタゴタが続き、戦国時代が到来。

各地地元勢力が抗争を繰り返す中、将軍家と縁組をするところも。。。

ここ房州里見氏嫡男(義弘・後の6代当主)と足利義明(小弓公方)の

まだ幼い娘の縁談が成立。だが。。。

頼みの綱の足利義明が、下総国府台で討ち死にし、この時の遺児として

3人の姫が里見氏ゆかりの寺に身を寄せます。おそらくこの時

二人は出会っていたのかもしれない・・・

恋心が芽生えていたのではないか?と紙芝居は盛り上げます。

なぜなら・・・この後

この時の少女は(北条方により)鎌倉に連れ去られ、大平寺の住職に。

青岳尼と名乗ります。

そして20年の時は流れ、里見家の6代当主となった義弘が

里見水軍を率いて猛反撃。房総半島より三浦半島、

更に鎌倉も攻め入り、遠い日のいいなずけ、青岳尼を奪い返しました。

当時、奪われた北条側から青岳尼へ、なぜ、自ら寺を去ったのかといった

彼女を責める内容の手紙があり、こうしたことから

一方的に里見義弘に強奪されたのではないのでは?と考えられています。


二人は房州の寺に身を寄せていた幼い頃、出会っていたのではないか?

恋心を抱いていたのではないか?だからこそ

その20年後の出会いに、鎌倉の寺・及び住職の身分を捨て

義弘と共に海を渡って行ったのではないか?と

すごいクライマックスと思いません?

子供の頃、淡い恋心を抱いていた人が、逞しく成長して

海を渡って水軍を率いて、やってきたら!!!

もう住職の身分なんか、迷わず捨てちゃいますよね~?

行け行け!!! 紙芝居に興奮する くるあんママ!

もちろん青岳尼は約束通り、義弘の正室になります。

が。。。


その生涯は長くは無かったようです。

でも没後100年後に興禅寺に供養塔が・・・それから

150年後に泉慶院にも供養塔が建立されています。

今も地元の人たちに慕われているようです。



青岳尼を奪われた北条側はその後、長く続く戦乱の世により

秀吉に小田原城を落とされます。

片や里見家は。。。10代忠義(1594~1622)が10歳で家督を継ぎ

館山城を居城。重臣の補佐で政務を行ない、徳川2代将軍秀忠の恩前で元服。

その後、迎えた妻の父親である幕閣の失脚に連座し鳥取の倉敷に配流。

29歳で没し、ここで途絶えます。

この時、わずか8人の家来しかいなかった、という史実をもとに

『南総里見八犬伝』の物語が構成された模様です。




この日、この後、素晴らしい詩吟、そして

声楽家の素晴らしい歌声を聞かせて頂き

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房総の春をいち早く堪能させていただきました。

感謝感謝!


勉強 コメント:5 トラックバック:0
コメント:
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くるあん家は、歴史のあるご一族なんですね その地に住まわれることになられたのも ご縁があったことでしょうね
素敵なことです ♡

ご心配いただきましたマリン検査の結果
結晶がきえて順調に回復しています
ありがとうございます
by: トトロママ * 2014/03/10 12:55 * URL [ 編集] | page top↑
--☆トトロママさんへ--

だから言ったでしょ?(~_~;)
半信半疑で聞いてね?って。。、(^_^.)
じぃじは早くに両親を亡くしたので、親を忍ぶ気持ちなのか
先祖の話が好きだったんです。
じぃじに教えたのは、大伯母で、
本家の蔵にある巻物を手にとって読んだ、そうで
それがじぃじを通して私に語り継がれています。
確実だ、という証拠はないのですが(-_-;)
この話をしている時のじぃじは
とっても嬉しそうでした。


マリンちゃん!良かったね!
おめでとう。
ママさん、ほっとなさったでしょう?
お疲れ様です。
by: くるあんママ * 2014/03/10 13:27 * URL [ 編集] | page top↑
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遅ればせながらこのblogを拝見しました。
当日、私もこちらへ足を運ばせて頂きました。このコンサートのおかげで、現在連載している小説の陳情も出来た次第で、当方にとってもまことに重大なコンサートでした。

2015年が素晴らしい1年でございますよう祈念申し上げます。
by: 夢酔藤山(むすいとうざん) * 2015/01/02 13:35 * URL [ 編集] | page top↑
--☆夢酔藤山さんへ--

初めまして。コメントありがとうございます。
小説をお書きになっていらっしゃるのですか?
是非、拝読させてください。
ご連絡お待ちしております。
藤山さんにとって、素晴らしい一年となられますよう
お祈り申し上げます。
by: くるあんママ * 2015/01/02 19:23 * URL [ 編集] | page top↑
--☆夢酔藤山さんへ--

追伸
先程は失礼しました。
今、お名前を思い出しました。
房日新聞で拝読しております。
コメント頂戴し、光栄です。
これからも楽しみに読ませていただきます。
by: くるあんママ * 2015/01/03 17:13 * URL [ 編集] | page top↑
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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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