10月25日夜
我が 南房総九条の会のリーダーAさん御夫妻とご一緒に
くるあんパパが出席した『千葉九条の会』学習交流会。
この日、お昼はBBQに御呼ばれしていたパパママ。
長時間お留守番させるとお腹壊しちゃう くるあんなので・・・
ママはくるあんと一緒にお留守番。
帰宅後のパパから受け取った学習交流会のメモを見ると
ママには達筆すぎるパパのメモが読み取れず
いちいち聞いていたら
「そりゃ、平仮名だー!」ていうのもあって、解読不能ヽ(;▽;)ノ
頂いてきた 『さかいね9条の会 通信』から報告します。
商社9条の会 三浦恒紀氏記述
マルティン・ニーメラーをご存知ですか?♪ナチスが 最初共産主義者を攻撃したとき 私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき 私は声をあげなかった
私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員を攻撃したとき 私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげるものは 誰も残っていなかった♪
マルティン・ニーメラー(1892-1984)は
ドイツのルーテル派の牧師。
第1次大戦時、Uボートの艦長として戦い、ヒトラー台頭時は
その支持者でもあった。しかしヒトラーが政権を奪取した頃から
ヒトラーのキリスト教弾圧に対して反ナチス運動に転じ、その結果
1937年からドイツ敗北(1945年)まで強制収容所送りとなりました。
上述の『ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき』の詩は
マルティン・ニーメラーが強制収容所から開放された戦後、
自身の運動が間違っていたことを述懐したものです。
マルティン・ニーメラーのこの詩は
今の時代の私たちにあてはまるのではないでしょうか?
♪政府が集団的自衛権容認を発表したとき
私たちは声をあげなかった
私たちは戦争など起こるはずがないと思っていたから
政府が 福島原発を収束したと発表したとき
私たちは声をあげなかった
福島と私たちは 関係ないと思っていたから ♪
戦争が勃発し、原発事故が再び日本のどこかで起こったとき
お金持ちや、政府要人は国外に脱出した結果、
国民の生命・安全を守る機能は崩壊し、日本という国が国として
機能しなくなったとき、このマルティン・ニーメラーの詩を
思い出すのでは遅すぎると思います。(以上三浦恒紀氏の記述より)
本当にその通りと思います。
第二次世界大戦が勃発した際も、
あれほどの戦争になるはずがない、と信じていたら
あれよあれよという間に、避けられない事態になっていった、
と今は亡き祖母が言っていました。
あっという間に逃げられない状態になり、
命を投げ出して戦争に加担するか、
非国民として石を投げられ投獄されるか
道は二つに一つだった、と言っていました。
今、勇気を持って声に出しましょう。
賢くなりましょう。
平和を次世代につなげるために・・・。
