くるみとあんずの散歩道

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歴史ウォーキング②勝山藩と戊辰戦争

2015/12/20(Sun) 21:40
勝山藩の陣屋(宿舎)周辺を散策したあと、
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妙典寺へ。醍醐山と↑あります。
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この勝山は江戸時代から捕鯨で栄えた街であり、

醍醐新兵衛によって組織されていました。

この妙典寺は、醍醐新兵衛の菩提寺であり

また幕末の戊辰戦争で戦った勝山藩義士の碑もあります。
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この近くの勝山の漁港・・・百年前は
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こんな感じでした。
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この後、バスで移動。富津へ。。。

佐貫城址の山を登り
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頂上からこんな景色が。。。
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佐貫は、ここに位置しています。
SanukiKash4000[1]


他にも色々勉強させていただきましたが

怠けグセが出て、ぼんやりしているうちに纏められなくなってしまいました。

またいつか、記憶が戻ると良いのですが・・・・

ボケちゃったのでしょうか?
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歴史ウォーキング①勝山藩ゆかりの地

2015/11/11(Wed) 10:12
地元の生涯学習の講座で

ウォーキングを兼ねて歴史の勉強をさせて頂きました。

まず岩井駅近くの福聚院へ。

勝山藩酒井家ゆかりの菩提寺。
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この勉強会から帰宅後、改めて酒井家の流れを調べてみましたが

一族の歴史上の人物が多すぎて、とても書き切れません。

出自は三河の国の坂井郷の在地領主だったと見え、そこから脈々と

系譜が広く、長く続いています。

今回は、紆余曲折ありながらも徳川幕府の最古参として

大老四家に数えられ、一族から大老や老中を輩出した酒井家の

九家ある譜代大名のひとつ・小浜藩主・酒井忠勝の

孫・忠国が初代勝山藩主になったお話から。

孫の代でなぜ勝山藩に?

その謎を生涯学習の先生から説明していただきました。

老中忠勝の息子であり、初代勝山藩主忠国の父である酒井忠朝は

父の後継者として幕府からも認められ、若手官僚として育成され

老中や大老など重要な職につくと考えられていましたが

なぜか父から親子の縁を切られています。

確かな理由は解りませんが、他の閣僚との深刻な対立や、

父の勘気を被ったとも、またこの廃嫡は本意ではなかった、とも

隠れキリシタン説等々あるそうです。

親子の縁を切られた忠朝は、長男でありながら小浜藩の藩主にはなれず、

領地であるこの(南房総・岩井の)市部村で、ひっそりと暮らし・・・

1年後の44歳で亡くなりました。

そのお葬式がこの福聚院で行われ

近くの観音山で火葬されました。その後小浜の酒井家の菩提寺で

歴代藩主と同格の墓に埋葬されたそうです。

小浜藩(福井県)を継いだ藩主忠直は、兄忠朝の子である忠国を不憫に思い

小浜藩の飛び地である勝山・岩井周辺の領地を小浜藩から切り離し

勝山藩とし、甥である酒井忠国を初代藩主にしました。

代々の勝山藩主は、江戸屋敷から勝山へ帰ると、

祖先である忠朝の位牌に参拝するため、ここ福聚院に参拝に来ました。
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藩主の御駕籠を置いたという、置き場が今も残っています。

忠朝はこのすぐ近くに、亡くなるまで住んでいて

その屋敷の門が後に
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酒井家から福聚院へ寄進されました。

この福聚院の欄間はDSC06772.jpg
有名な 波の伊八の作品でDSC06773.jpg
伊八はあの富嶽三十六景の神奈川沖浪裏を描いた
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葛飾北斎に大きな影響を与えた、と言われています。

この岩井駅からひとつ隣に安房勝山という駅があり

そこには勝山港が、そして港を中心に商店街があります。
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酒井家の・・・というか勝山藩の陣屋があったところは今
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こんな感じです。当時の陣屋は4500坪だったと言われています。

万が一に備え、屋敷から逃げる時に備えトンネルも掘られたそうです。


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ここから近くの山を見上げると
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頂上に中はガランドウの展望台があり、

昔は江戸湾を見下ろせる山城があったと思えます。

当時の陣屋が使っていた井戸DSC06797.jpg
山の麓にはいくつもの洞穴があり、これらの多くは
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戦争中掘られた防空壕のようです。

それは人が逃げ込むばかりでなく、物資の保管庫でもありました。

戦後、それらをさらに堀り、トンネルにしたそうです。
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洞穴のある山を登ると、
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小さな祠が有り、中にDSC06793.jpg
この掛け軸の絵と同じ観音様があるそうです。
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商店街には、勝山藩の時代の
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家老・平井家の石垣が一部残っています。

勝山藩の初代藩主として酒井忠国の名が残っていますが、

遡れば、あの南総里見八犬伝のモデルになった里見家が

1590年の小田原征伐で安房一国を安堵されたものの

第10代里見忠義が、妻の祖父大久保忠隣の失脚に連座し改易。

その後徳川家譜代の家臣内藤家が勝山藩主になったものの

嫡男の早世により廃藩に。。。酒井家のものに。

しかしその後内藤家は旗本として復活、後に大名へ。

勝山藩酒井家も9代まで存続し、明治に入り子爵に列せられた、とのこと。

戦国乱世をくぐり抜け、苦難の末に全盛期を築き上げながらも

妻の祖父の失脚のあおりで領地を取り上げられた里見家とは

大した違いです。

せめて里見八犬伝でも読み、広め、無念を晴らそうじゃありませんか!

この地での歴史ウォークは、もう少し続きます。

この後、戊辰戦争での関わり。

そしてクジラ漁で栄えた一族の話を次回アップします。
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前回の補足・土壌問題

2014/10/21(Tue) 17:05
前回のブログで、隣町の汚染土壌問題に触れましたが、


言葉が足りなかったので補足します。

福島の原発事故による汚染土壌処理問題は、

現地の方の心情を思うと、それを拒むことはとても辛い。

ただ放射能による汚染土壌を引き受けましょう、とはどの土地の人も

気安く言えるはずがありません。

内容不明の汚染土が大量に持ち込まれれば、そこから

有害物質が溶け出し、川や海を汚染していきます。

土に溶け田畑を汚染したら農業に、

川や海の魚も汚染されたら、漁業に打撃を受け

それを食する私たちの健康も、害するわけです。

汚染の影響が出ない、といった確実な方法が確立されない限り、

わが町にどうぞ、という気持ちにはなれません。



今回、隣町の採石場跡地に汚染土壌が持ち込まれそうになっています。

それが大変悪質・巧妙な脱法行為なのです。

「鋸南開発(株)が鋸南富山IC近くの採石場で、

35年間も岩石・土砂の採取を行い、2年前に終掘したところの

47万㎡もの大穴が開いたままのところがあるのです。

本来、標高13m以下の掘削は許可されないはずなのに

標高1mまで深堀した、という違反行為!

そしてこれらの穴は、場内の土砂のみで埋め戻し、植林するというのが

採石法に基づく許可条件であったが、事前に埋戻土砂確保計画書の

提出が義務付けられているのに、同社は埋め戻す分の土砂も売却してしまい

埋め戻すことができず放置。ということは、穴があいたまま。。。

跡地の整備も、利用計画も行き詰まっていた。

そこに産廃業社から、別の採石場保有の関連会社を通じ

同採石場を『土壌汚染対策法』の基づく汚染土壌処理施設に転換し、

同産廃業社が他社から運び込む汚染土を受け入れ、その47万㎡の穴を

埋めた上、100万㎡もの汚染土を積み上げる提案が持ち込まれた」

                 (以上・大山村塾塾長の解説の要点)

千葉県がこんな事業許可をするはずはないと思いたい。

ですが、福島の原発事故で、

『国は国民の生命・財産を守るために存在する』

という国家観は完全に否定され、県もそれに倣うのではないか?

町議会の反対決議も無視されていそうで不安!

この問題は今後も気を抜かず、反対運動をしていきます。

『鋸南町の環境と子どもを守る会と汚染土埋め立て反対協議会』

の問い合わせ先・事務局は TEL0470-55-8068

安心な未来を子孫に残しましょう!

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やれやれ。。。

2014/08/28(Thu) 18:49
昨日、今日、ちょっと涼しいですね?
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くるあんは、調子に乗って長時間お散歩しました。

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ママは・・・地域づくり協議会から依頼を受けた

原稿提出に、この日、何とか間に合いました。

『地域づくり』への希望?OR提案。。。ってテーマかな・・・

日頃より、感じていたことを改めて考えるうち、次々

改善すべき点が浮かび、原稿用紙2枚にまとめるのは難行苦行゜・(ノД`)・゜・


そうやって、ママなりの考えでせっせと書き進めていたところ、

パパなりの親切心で、「こんなこともどう?」

「あんなことも・・・」と色々話しかけてきます。

あのさ、言うのは簡単だけど、読み手を意識して書きまとめる作業は

楽じゃないんだよね。。。

気持ちはありがたいけど、ちょっとイラッとする。。。

それでもパパの意見は、おおむねママの考えと合っているから

多少は取り入れて、何とかまとめあげ、やれやれ。。。と一息ついたら、

「やっぱ!それ全部やめようぜー!」

突然気が変わって、全く違う路線の話を大演説するパパ!

な・な・なぬぅ~~~( `°罒°)ムキー

あのさー!自分の名前で自分で書きなよーっヽ(`Д´)ノ!

突然キレるママに、ビックリするパパ!

そんなクライマックスを乗り越えて、なんとか締切前夜、書き上げました。

提出は、パパがお出かけしているスキに、

こっそり徒歩で行ってまいりました。

またクレームが付いて、どんでん返しされちゃ、目も当てられないからねΣ(゚д゚lll)

あ~これで一段落。ほっとしていたらパパ曰く

「ママはいいね~?活躍の場があって。。。」

ご機嫌をとっているつもりのパパの言葉だけど、

(足引っ張ってるヤツは、どこのどいつだぁー!) (`Δ´)!

再びママの活火山が噴火しそうになるのを、必死で沈下させましたヽ(*´∀`)ノ

さ! 何にもないけど飲も。。。っと。。。
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親睦会

2014/06/29(Sun) 10:11
受講中の講座が今学期終了を迎え

親睦会が開かれることに。。。

場所はいつものお教室の近く。。。

クラスで一番遠くから通っている くるあんパパママですが

先生・クラスメートの、講義以外の話を聞きたくて

この日も、南房総から東京まですっ飛ばして参加しました。

カメラは持って行ったのですが、写真は取りませんでした。

理由は、ゆったりと会話を楽しみたかったので。。。

何せ、講義はいつも定刻通り始まり、きちっとお話が続き

きちっと終了し、パーッと帰る…この数年、その繰り返しでした。

今日は何としても、講義以外の面白いお話を

一点の聞き漏らしもせず聞くぞー!!!っと意気込んでいたの。

雨の中、お店に駆け込むと、あれ?

丸テーブルひとつに皆さんお集まり。

「これだけ?」 参加者の少ないことにビックリ!

2人の教授と6人の受講生のみ。

お蔭でじっくりお話を拝聴できました。


本講義開始以来5年が経ち、駆け足で古代朝鮮の歴史を学んできました。

この日は、生徒からは今後の講義内容への希望。

先生からは授業で話題にならなかった

今のご時世の中国・韓国のお話等々。そして

この秋にでも韓国に勉強に行きましょう!というお話も!

お二人の先生方は勿論韓国語に精通されていますが

受講生の中にも、韓国語を勉強されている方もいらしていて・・・

母国語の日本語でさえいい加減なのは、くるあんママだけ(^_^.)

これから勉強しても、まず無理ですよね?! 

電子手帳でも持ち歩こう!っと。(*^。^*)

この秋、またも楽しみが増えました。

当分の間、くるあんも元気で

叔母も安定してくれていますよう祈っています。

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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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