くるみとあんずの散歩道

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夏祭り ママの記憶の昔と今

2015/08/23(Sun) 18:02
この土日、地元の夏祭りが開催され、

班の副班長・くるあんパパにとって大忙しの3日間になりました。

前日・金曜日から準備に入り、慣れない作業にてんやわんや。

何せ、新参者にとっては 屋号で呼び合う地元の皆さんの

会話についていくのも てんやわんや。。。そんな中、

若者たちが中心になってテキパキ作業してくれたそうです。

土曜日(お神輿の本番)は朝6時半から出番。

すでに(;´Д`σ)σ【★猛暑★】DSC06108.jpg


お神輿には所々で休憩する箇所があり、その移動先に

お神輿を置く台を設置するのがパパの役目。

力仕事でもあり、責任重大でもあり、猛暑の炎天下の3日間

干物状態になって帰ってきましたが

お祭りが楽しかったと見え、意外と元気にしております。

特に海岸でのクライマックスはちょっとした見ものだったようで

来年はママも撮影隊として追っかけしようと思っています。


ママはここに越してきた時から、時々ハッとすることがあります。

この田舎の のどかさが好きで、素朴なところが大好きなのですが

ママが育った東京下町のイベントと、あまりにも違うのでびっくりしてしまうのです。

今日は江戸深川祭りの活気と、岩井の素朴な祭りの魅力を紹介します。





ママの育った深川の夏祭りは。。。深川お祭り奥に見えるのが八幡宮
細かい点々は人ですよ。


水のかけっぷりがすごい!
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かたや 海辺の町ではお神輿
次の神社は。。。赤い矢印だよ( ´艸`)ムププ
神輿
それにみんな、静かなんだ。

深川じゃ、「( ゚∀゚)o彡°ワッショイ」 ピッピ(笛の音)が鳴り響いていたけど

こっちはテレビ見てたら、通り過ぎちゃったっ!って感じ。



もう一度、深川のお神輿風景 見ようか!深川本祭りこの人出。



田舎は静かだよ~~~
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大人も子供たちも一緒になって笛や太鼓で、

夏の思い出を盛り上げます。
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1995年の思い出

2015/01/17(Sat) 20:12
今から20年前のこの日、東京の自室で

不気味な揺れを感じ目が覚めました。

阪神淡路大震災でした。

早朝より、次々とビルや高速道路、家屋の崩壊、

火災、煙、停電、亡くなられた人々、生き埋め状態の人々、

水や食料の不足等など、地獄絵図のような映像が

テレビに流れていました。

その時、ショックを受けるばかりで、呆然としてしまい

何を今、自分がすべきなのか、しばらく手につきませんでした。



その2ヶ月後、東京で大きな事件が起きました。

何度もブログに書いている話ですが、

地下鉄日比谷線の人形町駅で

私は偶然その朝、いつもよりひとつ前の地下鉄に乗りました。

いつもの駅で降りると、ホームに立て看板があり

「次の電車は来ません」と書いてあります。

それが地下鉄サリン事件でした。

いつものように、いつもの時間に乗っていたら、

私はあのサリン事件に巻き込まれていたのです。



その数ヵ月後、友人のご主人が病死されました。

小・中・高の3人の子の行く末を案じながら、

発病に気付きわずか1週間後に息を引き取ったそうです。

突然の訃報を聞き

「びっくりしたわ・・・」と言う私に

「一番びっくりしているのは、本人だと思うわ」 と彼の妻。

三途の川を前に、なぜ

自分はここにいるのだろう? と

思っているのではないかしら・・・と。

3人の子供の成長を生きがいに

彼女は働く日々になりました。


世の中にはこんなに苦労している人がいるのに

私はのんきにしていて良いのだろうか?

自分だけの幸せを考えてはいられない・・・など

20年前のこの年、私は

自分の人生を見つめ直す分岐点になりました。


亡くなられた方々を悼み

遺族に想いを寄せて、少しでも

自分の出来ることを協力させていただきたい。。。


そんな気持ちにさせていただいたことに

感謝しています。 

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3人娘の訪問

2014/09/28(Sun) 09:01
くるあんパパは

新人教師の頃、1年で10キロも痩せたほど

がむしゃらに頑張っていたようです。

生真面目な熱血漢の教師として

体力気力ともに一番充実していた頃

テニス部の顧問も引き受けていました。

その頃テニス部の女子たちは

30代になっても嫁の来てのないパパを心配して

こう言ってくれていたそうです。

「大人になったら、私たちの誰かが嫁になってあげるね」

と。。。

まるで、犠牲になってあげる・・・みたいな口調で。。。( ´艸`)ムププ

彼女たちは高校生、大学生、社会人になっても

時折、テニス部の仲間を誘い合って我が家に遊びに来てくれ

想定外だった犠牲的精神(?)の嫁の存在を知り、こう言っていました。

「良かったァ~~ヽ(*´∀`)ノ 先生に嫁の来てがあって~」

中学時代の言葉などケロッと忘れ、みな

素敵な彼と結婚。下町を巣立って行きました。


その後それぞれ、社会人として家庭人として多忙を極め

再会の機会が途絶えたまま数年たったある日。。。

東京のホテルで同窓会が。

久しぶりにパパと教え子たちの再会。

中学を卒業して40数年・・・

教師も教え子もゆとりある時間を共有できるようになっていました。

そしてこの土曜日。

テニスの女子3人が海辺の我が家を訪ねてくれました。

まずは館山城へ。。。P9270036城山公園3人

昼食は我が家で~
3人DSC02612

この日一緒に来てくれる予定が

仕事が入ったため来られなくなったミネ君から届いたぶどうを
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デザートに頂きながら

同窓会のDVDを見、

中学時代の思い出話や、子育て、仕事の話をぺちゃくちゃ。。。

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下町のお嬢さんたちもすっかり大人になっていましたが

話し方や笑い方は昔のまま。。。

タイムスリップしたような気が・・・

名残惜しみつつ、東京へ帰る彼女たちを

クルが見送っていました。
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人生の先輩の話②

2014/04/07(Mon) 00:00
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若い頃、バイト先のクリニックで、

多くのお年寄りと接することが出来ました。

聞かせて頂くお話の中に

人それぞれ驚くようなドラマを体験されていることを知り

大いに勉強させていただきました。


明治・大正・昭和の始めは、貧困や差別、

食べていくための生きる道を模索していたようですし

戦後は、豊かさを追い求めて競争しているようでした。



多くの苦労話をお聞きしましたが、中でも

(当時)92歳のご婦人の話は、圧巻でした。

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彼女は明治後半、福島の片田舎で

兄弟が大勢いる中、ただ一人の女の子として生まれ育ちました。

今の時代でしたら、ひとり娘として愛され大切にされたでしょう? と

思われる所ですが、時代や、地域、家庭の考えはまちまちです。


福島の寒村のその生家は、男尊女卑の家庭だったそうです。

女であると言うだけで、教育を受けさせてもらえなかった上

何をするにも男が優先され、女は低い扱いだった、と言います。

そんな家庭でありながらも、言いたいことは何でも言っていた彼女は、

「今に見てろ!女が大事だとわからせてやる。

 おれ(女性でもこういう)が重要人物だって今に解るからな!」

と、毎日のように言っていたそうです。


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ある日、膝に痛みを感じた彼女は、診断を仰ぐため

田舎に一軒だけある医者を訪れます。

すると医者はロクに調べもせずに、

温かみの無い対応でこう言いました。

「これは恐い病気が潜んでいる。明日にでも膝から切断する」


普通の娘だったら、卒倒するような言葉です。

でも気丈な彼女の脳裏は、こんな思いが駆け巡りました。



五体満足で、朝から晩まで牛・馬のように働いても、

ただ女だというだけで、低い扱いを受けている。

これで片足になり、充分な働きが出来なくなったら、

どれほどヒドイ目に合うのだろう...



食べ物も食べさせてもらえないのでは?

家から追い出されるのでは?

そうしたらどうやって生きて行こう?



それに、あの医者。。。あいつは信用できるのだろうか?



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彼女はきりっとした表情で私を見て

「こんな田舎のへっぽこ医者に、足1本取られてたまるかー!」

と声を大きくして、その決意を言いました。


東京へ行こう。東京には医者がたくさんいる。

信用できる医者に診てもらおう。。。と。





その晩、

彼女は家の近くの裏山にある小さな神社に願掛けに行きます。


「おれは東京へ行ってくる。おれの足を守ってくれ。

そうしたら、おれは誰よりも働く。たくさん金を稼いで

金持ちになって。。。

村中の子供に小遣い銭くれてやれるまで、おれは帰らねえ。

それまで待っててくれ。おれの足を守ってくれ」


彼女はこう宣言して、黙って家を出

福島の寒村を後にしました。

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上京後、まず病院へ。

検査を受けた後、医者の診断結果はなんと、

「特に病気は無し」とのこと。

何日分かの湿布を渡され、

「これで様子を見ましょう」。。。その後、ほどなく

ケロッと治ってしまったと言います。


あの時、田舎のへっぽこ医者の言いなりになっていたら

取らなくていい足を取られ、

片足になって、どんなに苦労をしただろうか?と考えると

東京へ出てきて、本当に良かった、とつくづく思ったそうです。


その後、彼女はがむしゃらに働きました。

働いたお金で家畜を飼い

牛や馬に荷車を引かせて、物を運搬させたのです。

当時はまだ自動車は少なく、物を運ぶのは

もっぱら馬車が多かったのです。


その牛・馬よりもよく働く、彼女はいつ寝ているのか?と

近所で評判になるほど働きました。


やがて自動車の時代が到来。

トラックを次々購入し従業員を雇い、

会社経営の第1歩を踏み出します。


結婚もし、子供もたくさん生まれました。

どの子も優秀に育ち、仕事も順風満帆な毎日を過ごすうち、

ふと気が付いたら、夫がいなくなっていました。

妻の稼ぎで、外に女性を囲っていたのです。

「そんなこた、気にしね・・・」

とにかく働き、お金を稼ぎ

優秀な子供を育てたい・・・自分の足を守ってくれたような優秀な医者に!

世の中に貢献できるような優秀な人材を育てたい!

それが夢でした。。。

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こうして月日が過ぎたある日、彼女は帰郷します。

傷心の思いで田舎を飛び出したあの晩、

裏山の神社に願掛けした、あの約束を果たす為。。。


村中の子供たちに小遣い銭を配り、

故郷に錦を飾りました。


その後も働く人生を突っ走り、会社を大きくし、都内にビルも建て

夫がどこで何をしようと気にする余裕もないまま、

ひたすら働き続けました。

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さらに年月が経ち、老いた両親が救いの手を求めてきました。

どんなに可愛がって育てた息子達でも、

その嫁に老いた親の世話をさせるのは、遠慮があったそうです。

実の娘なら言いやすい…という両親に


「おれは言ってやったんだよ」

彼女は鼻に皺を寄せて、クスクス笑いながら言いました。

「どうだ、解ったか?娘が頼りになるってこと!

 女が重要人物だってこと、解ったか?」と。。。



マッサージが終わり、施術台から立ち上がり

カーテンの向こうへ去って行くとき、決まって振り向き

「あんたの親もいつか解るよ、あんたが重要人物だってこと!」

と愛嬌のある笑顔を残し

次の診察室へ向かって行きました。


優秀な医師を育てるという彼女の夢を叶えてくれた

孫の待つ診察室へ。。。

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人生の先輩の話 ①

2014/04/06(Sun) 00:00
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くるあんママのただ一つの取り柄は

マッサージが巧い、ことです。

素人ですが、整体の先生直々に教えて頂いたので

ただ気持ちが良いだけでなく、身体の不調が(一時的ですが)

改善されるという効果があるのです。

こうした能力を家庭でも発揮し、虚弱体質のくるあんパパの

胃の痛みや吐き気、頭痛、目の疲れ等・・・ママのゴッドハンド(?)で

たちまちのうちに直してあげているんです。


で、なぜ整体の先生にマッサージを習うことが出来たか、と言うと

若い頃アルバイトをしていた医院に整体コーナーが出来、そこで

カルテの記入などのお手伝いをしていたところ、徐々に

その整体コーナーが大盛況してしまい、先生はてんてこ舞いに。。。


そこで骨折や捻挫など、

プロでないと直せないことは先生がするとして

暇を持て余してお喋りに来るお年寄りを相手に、

くるあんママが駆り出される事になったのです。

資格を目指しつつ修業を始めた所、もともと祖母や母・叔母の

マッサージをしていた実績(?)もあり、ある程度の基本を先生から教わると

メキメキ才能(?)を開花!? (~_~;)

ご指名が後を絶たないほどになった、という次第です、オッホン!


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ある日、くるあんママのバイト先に、

母と叔母が、内科を受診しにやって来ました。

すると、院内のお年を召した患者さん達からざわめきが。。。

着物姿で外では品の良い母と、プロポーション抜群のオシャレな叔母…

二人がしゃなりしゃなりと院内を歩き回る姿を見て、

ため息まじりに見つめるお年寄りたち。

「きれいだね?」 とひそひそ。。。

「あの歳でこんなにキレイなんだから、若いときゃどんなにいい女だったろう?」

とお爺さんたちの呟きが。。。


その注目の二人が、私の母と叔母と知った時のざわめき・・・

驚きの目を向けながら

「あんた、いいとこ嬢ちゃんだった? 

 按摩させて悪かった?」

と、口々に聞くのです。


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そこで、ママは正直に打ち明けました。

私は今の仕事で、皆さんと巡り合い、少しでも痛みの軽減や、

疲れの解消のお手伝いが出来ることが、とても嬉しい。

やりがいのある仕事をさせていただき感謝している・・・と。

そして母や叔母と私は、生き方も、生まれついた星も違う、と。


母や叔母の人生の殆どは、実家の稼業が良い状態の時であり、

蝶よ花よで育てられた。片や私は。。。

しっかり者の祖父が健在だったころは、大事にしてもらえたが

祖父亡き後、子供心に後ろ盾を失ったと切実に感じたものだ。

また母は、3人の息子を溺愛していたが、たった一人の

娘のことは、眼中にないようだった。。。


でもこれは私にとって、どうでも良い話だったのです。

母は非常に我がままで癇癪持ちだったので

可愛がってくれるより

関わらないでいてくれれば、それでいい、と達観していたのです。



さて。。。

こうした話を聞いてくださったお年寄りたちからは、意外なほどの反響があり、

それ以来マッサージの間、励ましや打ち明け話のサロンのようになりました。

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ある男性患者さんは、こう話されました。


大正の始め、

信州の大きな農家に生まれたが、跡継ぎの長男だけが大切に育てられた。

その後の時代であれば、次男三男もきちんと教育を受けさせてもらえ

自分の力で、独立できるまで親元にいられるが

明治、大正の頃は、長男以外はごく潰しとして扱われた。

女の子は芸者置屋に売り飛ばされた。

自分は男だったので、軍隊に売られた。

軍隊は男ばかりの世界なので、

女の人が出入りすると厄介なことになりかねない。だから

掃除、洗濯、炊事など、歳の行かない男の子がさせられた。

ここでも人間的な扱いはされなかった。ひもじい思いの毎日だった。

山に薪を拾いに行くふりをして、あちこち神社に寄り道した。

お供え物をかすめ盗るために。

お供え物を盗るには、コツがある。

参拝客の目に付く、前の部分は盗ってはならない。

後ろの部分を盗るのだ。どんなに腹が減っていても

一度にたくさん盗ってはならない。重なっていたものが崩れると

盗んだことがばれてしまう。

薪を拾いながらあちこち歩き、行った先々の神社で、少しずつ

かすめ盗るのが、ばれない秘訣だ・・・と。


そのお爺さんは一生懸命働き、会社をお輿し、一代で財を築きました。

彼は、一日として学校に行かせてもらえなかったそうですが

何事も独学で学び、

高学歴の者より、はるかに豊かな知識人でした。

書家と言えるほど達筆でしたし、彫刻家としての名もお持ちでしたし

社交ダンスもお得意でした。

仕事で成功しただけでなく、人生そのものも豊かに味わっていたのです。

「親にちやほやされない方が、自分の為だよ」そうつぶやきながら

彼はマッサージをしている私に、一枚の写真を見せてくれました。


晩年になって、わだかまりなく付き合えるようになった、という

生家の家族との写真でした。その中で

信州の山々を背景に、一際堂々として写っているのが、

子供の頃、軍隊に売り飛ばされた彼でした。




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プロフィール

くるあんママ

Author:くるあんママ
2012年夏、東京下町から南房総内房の海岸近くにお引越し。
ミニチュアシュナウザー、くるみ(ソルト&ペッパー12歳)とあんず(ブラック8歳)パパママの4人暮らし。
時に、オバちゃんの介護日誌も兼て。
東京の家には長女CHA-ネエ・ポメラニアン小太郎(7歳)きなこ(2歳)が。
お散歩、趣味(料理)、お友達とのお付き合い、ボランティア等々気の向くまま綴っています。

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